高橋尚子引退

高橋尚子という名前を初めて聞いたのは、シドニーの前の中国か何処かで開催された夏のマラソンで、驚異的なタイムで独走優勝をした時だ。とんでもない選手が現れたと、当時驚いたのを覚えている。その後も高橋尚子は次々と高まる期待に次々と応え、連勝を重ねていった。そして迎えたシドニーオリンピックで“期待”は“国民の期待”に形を変え、高橋尚子の両肩にのし掛かるが、その期待にも見事に応え、金メダル獲得。あの時は本当に感動した。よく頑張ったと思う。高橋尚子は学生時代は本当に鳴かず飛ばずの平凡な選手で、卒業と同時に引退してもおかしくないレベルだったと聞く。そこからが高橋尚子の凄いところ。当時有森選手を育てた実績を持つ小出監督に弟子入りし、相当な努力を積んだらしい。高橋尚子は天才ではなく努力の人なのだ。
シドニー後は怪我の影響もあり、アテネ、北京と続けてに落選。みんな高橋尚子がマラソンで走る姿を見たかったが、怪我で出場出来ないレースが度々あった。激しいトレーニングの影響であることは間違いない。それでも現役続行する高橋尚子に、痛々しさすら感じていたが、今回漸く引退。ゆっくり休んで欲しい。 今まで感動をありがとう。お疲れ様でした。
写真は和歌山で買ったパンダジャージを着る娘。